UPCOMING ARTIST | ライヴ・チケット・アーティスト情報

 
 

美しくも繊細な痛みを湛え、メランコリーとビンテージ感を帯びた音楽を自ら"ハリウッド・サッドコア"と称する2012年大注目のシンガーソングライター=ラナ・デル・レイ。残念ながらキャンセルとなってしまった3月の公演は即日完売となっていただけに今回もプレミアチケットとなることは必至!

お知らせ

    ラナ・デル・レイ スペシャル・ショーケース・ライヴ中止のお知らせ
    5月28日に渋谷DUOにて予定しておりましたラナ・デル・レイ スペシャル・ショーケース・ライヴはアーティストの都合により急遽中止とさせていただくこととなりました。下記マネージメントからのステイトメントになります。

    誠に残念ではありますが、ラナ・デル・レイは疲労による体調不良により明日の東京でのショウをキャンセルせざるをえなくなりました。以下ラナよりのコメントになります。「今回も日本に行くことができなくて本当に申し訳ないと思っています。日本でパフォーマンスを行いたいと思っていますし、ファンのみなさんに楽しんでもらえるショウができることを楽しみにしております。」

    チケットをお買い上げいただいたお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますことを心よりお詫び申し上げます。なお、お手持ちのチケットはお買い求めのプレイガイドにて全て払い戻しいたします。
    払い戻し方法は後日ユニバーサル ミュージック及びクリエイティブマンのホームページにてご案内いたします。
    ユニバーサル ミュージック合同会社/株式会社クリエイティブマン プロダクション
    ■払戻方法はコチラをご覧ください。

公演日程・チケットチケットに関するよくある質問

公演日・会場
5/28(月)東京 渋谷duo music exchange
OPEN 18:30 / START 19:30
TICKET発売 4/21(土)10:00~TICKET ¥5,500-(税込/All Standing/1Drink別)
※未就学児(6歳未満)のご入場をお断りさせていただきます。
イープラスeplus.jp
チケットぴあ:0570-02-9999 Pコード:169-117
ローソンチケット:0570-084-003 Lコード:76749
※0570で始まる電話番号は、一部携帯・PHS不可
INFO クリエイティブマンTEL:03-3499-6669
協力:ユニバーサル・ミュージック

Biography

2012年1月31日、ラナ・デル・レイは、暗い影を帯びた魅惑のアルバム『Born To Die』(Interscope)をリリースした。同アルバムは、全英2週連続1位、全米初登場2位をはじめとして、世界18カ国のiTunesで初登場1位を記録。セールスは世界で総計100万枚を超え、NMEが「気絶するほど素晴らしい」と、またBBCが「鮮やかな出来映え」と評するなど、各メディアからも絶賛を受けている。

シンガーソングライター、ラナ・デル・レイを初めて知ったきっかけが、彼女の自作ビデオ「Video Games」だったというファンも多い。しかし「Video Games」の動画(愛用のMacBookで彼女が自ら撮影・編集)をYouTubeに投稿する前から、ラナは既に8年にわたって曲をレコーディングし、憂いを帯びた手作りビデオを制作していたのだった。レトロな雰囲気に加工され、不穏なアメリカーナのイメージを表現している「Video Games」。デル・レイ様式の洗練されたヴィンテージ感が満載のその動画の再生回数は、現在3,200万回以上に達している。

複数の音楽系ブログが「Video Games」を気に入っただけでなく、英国で大きな影響力を持つBBCレディオ1のDJ、ファーン・コットンが同曲に惚れ込んで強力プッシュ。それから数週間も経たないうちに、同曲の動画は100万再生を突破し、2011年7月末、彼女はユニヴァーサル・ミュージックと全世界契約を結ぶに至った。ラナ・デル・レイの本名は、リジー・グラント(Lizzy Grant)。3人兄弟姉妹の一番上で、ニューヨーク州北部に位置する自然豊かなレークプレシッドの平穏な田舎町で生まれ育った。「壮大でノスタルジックな雰囲気があるの。国立公園の真ん中にあるのよ」と、故郷について語るラナ。成長するに従い、彼女は教会の合唱隊で歌うように。彼女が聴いて育った音楽は、ニルヴァーナから、ビーチ・ボーイズ、ダニエル・ジョンストン、そしてブルース・スプリングスティーンまでと、バラエティに富んでいた。

十代の頃に、ビート詩人アレン・ギンズバーグの文学的な不遜さと出会ったラナ。彼の豊かな言葉遊びは、拭い去ることのできない強烈な印象をラナに刻みつけ、彼女の音楽にとり、コンセプト的な意味において今も重要な影響源であり続けている。「私はこういう恋愛観や人生観を持つようになったわけだけど、それは時としてああいった、より奔放な人間関係を真似しているような部分もあるわね」と、彼女はスピン誌で語っていた。ギンズバーグの長詩『吠える』(原題:Howl)に出会ったのは、15歳の時だとのこと。「あれは、初めて私が共鳴できた文学作品のひとつだった。ドラッグに煽られた躁病的なギンズバーグの“わめき散らし”に、私があれほど共感していたっていう事実は、失意に打ちひしがれつつも創造性を発揮できる時期が、やがて私に訪れるってことの前触れだったのね」と、彼女は音楽誌フェーダーに語っている。

フォーダム大学で哲学を学ぶため、ラナは18歳の時にニューヨーク・シティに引っ越し、実にロマンティックなそのサウンドに磨きをかけ始めた。「初めてニューヨークに行った時、私はアコースティック・セットを演奏していたの。スタイル的には、私の音楽はあの頃と変わっていないと思う」と、ペイパー・マガジンで彼女は明かしている。「私の曲の底には前からずっと、ダークな色調があった。なぜだか、とにかく……自然にそうなってしまうのよ」。彼女が最初のチャンスを掴んだのは、ソングライティング・コンテストで歌った時で、それがインディ・レーベル、ファイブ・ポインツ(5 Points)との契約に繋がった。彼女は同レーベルから受け取った前払い金を元手にニュージャージーのトレイラー・パークに拠点を移し、そこで1年半生活。その間に、デヴィッド・カーンと最初のアルバムを制作した。

ラナがライヴ・デビューを果たしたのは19歳の時、ウィリアムズバーグ(ニューヨーク郊外の流行最先端地区)の店のオープンマイク(=飛び入り参加自由なステージ開放日)の夜だった。抗い難い魅力に満ちた彼女の静かな声と、曲の持つ傷だらけの豪華さとが融合したサウンドは、その夜、多くの人の耳を惹き付けた。「誰かが私の後を追って店から走り出てきて、『来週、私が主催するイベントで、ぜひ何曲か演奏してほしい』って言ってくれたの。私は全てが不安でたまらなかった。もしあの晩、あそこにいた人達に笑われてたら、きっと2度とステージに立つ事はなかったでしょうね。絶対に、2度と」と、ラナは胸の内を語る。彼女が現在の名前を名乗るようになったのは、成長過程にあったこの時期だ。「自分が求める人生を、自分の力で築き上げてみようとするチャンスを得られるってこと、それって素敵よね。まず人は、誰か他の人から全てを与えられている所から始めるわけでしょ」とラナ。「そこから勇気を持って、もう一度やり直さなくちゃいけないってことだもの。それって、少し怖いことかもしれない。『さあ、人生を最初からやり直そう、自分が望む通りにもう一度やってみよう』って言える人は、それほど沢山いないわよね」。

「自分の目指す音楽を表現するような名前が欲しかったの」と、UK版ヴォーグ誌のインタビューで、彼女は新たな名前についての詳細を説明。「当時、私はしょっちゅうマイアミに足を運んでいて、キューバ出身の友達とスペイン語でよくお喋りしていたの。“ラナ・デル・レイ”という名前は、うっとりするほど美しいあの海辺を思い出させてくれたわ。それが口をついて出た時、ゴージャスな語感がしたのよね」。 彼女の卓越したヴィジュアル・センスに加えて、『Born To Die』に備わっている映画的な特質は、彼女がクラシックなアレンジを好んでいることにも起因している。型通りなトーチソング(=失恋や片思いの歌)のバラッド詩を、無鉄砲なヒップホップと融合させる彼女の才能が、馴染み深いにもかかわらず新鮮に感じられるドラマ性を曲に植え付けているのだ。『Born to Die』に収録された12曲は、無骨なヒップホップ風味の「Off To The Races」から、魅惑的で壮大な「National Anthem」まで、ダイナミックなまでに多様だ。彼女の音楽的ヴィジョンを作品として実現する手助けをしたのは、プロデューサー陣と、コンセプト的な“共謀者”であるエミール・ヘイニー(Emile Haynie)。ヘイニーは、ヴィンテージなレコード盤とレコーディング機材に埋め尽くされた、彼のこじんまりとしたスタジオで、ラナのサウンドを形にした。『Born To Die』には、オーガニックなスパイ映画風のギターや、気が遠くなるようなストリングス、薄汚れたサンプリング、そしてみずみずしいヒップホップ・ビーツといった、様々な正反対の要素がたっぷり詰まっている。

ここ数ヶ月の間に、ラナはゴージャスなビデオ「Born To Die」を発表。フランスの映像作家ヨアン・ルモワンヌ(Yoann Lemoine)が監督を務めたこの壮大な悲劇には、壮麗なフォンテーヌブロー宮殿での撮影許可が初めてフランス側から下りた、史上初のビデオ作品という栄誉が与えられている。英国の人気音楽番組『レイター・ウィズ・ジュールズ・ホランド』でテレビ初出演を果たし、絶賛を受けたのに続き、Q誌の<ネクスト・ビッグ・シング(次に来るもの)>賞を受賞したラナ。それ以降、英国のみならず、ヨーロッパや米国でも数々の人気テレビ番組に出演したが、その中には『サタデー・ナイト・ライヴ』『レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン』『ジミー・キンメル・ライヴ』『アメリカン・アイドル』『トゥナイト・ウィズ・ジョナサン・ロス』などが含まれている他、フランスの『ル・グラン・ジュルナル』には2度、そしてドイツの『エコー・アウォーズ』にも出演している。胸が躍らずにはいられないほど多種多様な要素を含んだ彼女独特のスタイルは、UK版ヴォーグ誌やニューヨーク・タイムズ紙のT・スタイル・マガジンで高い評価を受け、またビルボード、コンプレックス、Q、NME、UK版ヴォーグ、ワンダーランド、そしてインタビュー・マガジン(ドイツ)をはじめとする数々の雑誌で、彼女は表紙を飾っている。2012年1月現在、ラナはブリット・アウォーズで『ベスト・インターナショナル・ブレイクスルー・アーティスト』賞も受賞した。

次のシングル「Blue Jeans」のリリースに際しては、昨年「Video Game」の動画と並んでファンがYouTubeで発見した、特徴的なモンタージュ・スタイルのビデオとは異なる、別ヴァージョンが発表された。今回LAで撮影した新ヴァージョンのビデオは、フィルム・ノワール調の美しい白黒作品で、ビデオ「Born To Die」の過去を描く続編となっており、彼女がビデオ「Born To Die」の中で回想していた恋愛関係の、危険な始まりを表している。ラナは現在、熱心なファンベースが世界的に増加中であることに伴い、2012年のツアー計画を最終的にまとめているところだ。これは“一夜にして収めた成功”に見えるかもしれない。だが25歳のラナは、その下準備に8年をかけてきたのである。